心理的コスト

フリー(無料)経済の本を読んでいて、頻繁に心理的コストという話が出てきました。そこでの話を簡単にいうと、「無料と無料でないの差は時としてとてつもなく大きく表れる。なぜなら人間は少し料金が発生する場合それを自分が購買するという行動決定を選択しなければならなくて、人間はその時に発生する考える労力を避けて通ろうとするからだ。」って感じです。

学生を使った実験結果で、
高くて有名なチョコが1ドルで売られている、安くて有名なチョコが1セントで売られている。前者のほうが単純な「金額得差」ははるかに高いので、賢明なる学生の多くは前者の買い物をした。ところが次の実験で、前者のチョコを99セント、後者を無料にしたら驚くほど多くの学生が無料のチョコに飛びついた。
というものの事例も紹介されていた。

さて、言われてみればなるほど納得なことなのだが、これを広告まわりに持ってきてみる。
youtubeなどを想像してみる。3〜4分のミュージックビデオは擦り切れるくらい何回も同じユーザーに再生されたりするのに、広告の動画の反復再生率は驚くほど低い。ゆえに総合の再生回数も少ない。これは、もちろん単純に広告動画を好んでみるような輩が絶対的に少ないだけかもしれないのだが、広告動画の視聴には心理的コストが発生しているのではないだろうか。いや、むしろ発生しないほうがへんだろう。

多くの人の無意識的な考えとして、広告というのは余計なもので、その広告費を支払っているのは普段自分たちがそこの商品を買っている企業なわけで、企業が支払う広告費は商品の値段に上乗せされているわけだから、結局広告費というものは自分たちが支払っているのだ・・・というものがある。つまり広告というものに触れれば触れるほど、自分たちは金銭的に(そして時間的に)損をしていると感じてしまうのだ。

魅力的な作品でアレば、短い作品ほど高い反復再生率を示す傾向にあると思う。自分がお気に入りの3〜4分のミュージックビデオを何十回と再生した経験のある人は多いと思うし、反対に1時間くらいの長さの動画を何回も見直す人の割合は少なくなるだろう。いくら本当に魅力的で価値のある広告作品を作ったとして、映像単体として見れば、それを反復的に再生させる心理的ハードルは想像以上に高いのかもしれない。15秒〜1分のような短い作品だとそれはより顕著になる。だからネット上でも、比較的一般の人に気に入られ、再生されるようなものは、ストーリー仕立てになっていて1分以上の長い作品が多い。

メディアニュートラルに広告展開をしていく場合でも、常にこの心構えは必要で、電通の岸さんの「気持ちをデザインする」よろしく、要約すれば「広告だと相手に思わせない」ということになってしまうのかもしれない。けれどそこにちゃんと「心理的コスト」という説明があると、途端に納得がいくから不思議ですね。

広告が「広告」でなくものとして、コンテンツとして扱われるようになるためには、この心理的コストのハードルを飛び越えなきゃいけないのかも。でも本当は、コンテンツにはもとからそんなものないんだけどね。

さて、そこで今回はさらに突っ込んでタイアップ広告についても言及していきましょう。僕の好きなperfumeの最近のCM動向も含めて。まずは以下の情報を既知としてください。

perfumeの3人がそれぞれ出演するNBBという服飾ブランドのCMがオンエア。以前にもエスキモーピノのCMなどにも出演。ともに関連動画の再生数は10万以上の動画が多数。

ところがプラチナアルバムに指定されるほどの売り上げをみせた、昨年発売のアルバム「⊿」のTV-SPOT(CM)は、それそのままの動画がアップされたものの再生回数は1万回程度と、PVは振るわなかった。(ちなみに初回限定版のアルバムにはDVDが付属していて、ライブの映像の他に、収録されたシングル曲発売時に流したTVCMも収録されている)

これはやっぱり、perfumeファンであっても、商品のダイレクトなCMには視聴するのに心理的コストがかかっているってことなのかも。そうだとすると、タイアップCMにはそれがない、つまりコンテンツとして消化できているってこと。それが広告的に機能していないのだとすれば問題だけど、それはなくて、ちゃんとピノのCMを何回も見た人はついついコンビニでピノをとってしまったという意見も多く見られました。
それとも、少しyoutubeで探してもらえば分かるけど、アルバム「⊿」のTVCMそのものがファンにとっては何回も視聴するほどの価値がなかったのかも。これはこれで問題だと思う。いくらアルバムのTVCMは「youtubeで何回も関連動画を見てくれるようなファン」以外の層を狙っているとはいえ、果たしてそれが効果的な施策ともいえない。目先の論理性に気をとられて根本を間違えることにもなりかねないし。買ってくれ買ってくれみたいなCMが効かなくなっているっていう根本な問題に立ち返るだけ。

結論。タイアップ広告は悪くない。・・・・てきとー。

・・・
もう、広告そのものがひとつブランドになればいいのに。広告の制作者が象徴化されてファンがついて。その人は有名人になって、その人は一業種一社性を守りながら、色々な会社の広告を制作していって、しかもどの作品にもしっかりとその人の署名・捺印が入っている。このCMは俺が作ったんだ!って主張する。楽曲も作っちゃって、CDも出しちゃう。ライブもやる。DVDもだす。制作風景なんかはWEBで全部見れる。テレビにはチョコっと顔を出す。もしも広告を作る人がクリエイターだなんて名乗るのなら、少なくともそんな気概くらい見せて欲しい。マーケとクライアントの言うことを聞いて、それで自分のことをクリエイターだなんていうのは、いくらなんでも虫が良すぎるから。僕はクリエイターにはなれないと思うから、一生に一人くらいはそんな人間を輩出するようなことが出来たら嬉しい。そのためにも、まずはみんなに広告っていうものをもっと好きになってもらわないと。