メディアプレゼンス

「メディアになる」という言葉は、その時点でソシオメディア論的かもしれない。
というのも、何かあるものや存在が特別な「ブランド(意味)」を持った時、特別なメディア的価値も同時に会得するかのような、そんなニュアンスを感じる。
確かにその通りかもしれないが、もっとシンプルに、「多くの人の注目が集まるようになる」ではだめなのか。

メディアとは確かにひとえにコミュニティ運営だし、そこには強いブランド感、仲間意識などの構築が必要だ。
そしてその最終型が宗教とも言える。キリスト教は今でも欧米のナンバーワンブランド、、なんて例え話もある。
しかし閉じたコミュニティの中の人のみを相手にし、その中だけでマネタイズを計るような行為はとても「ビジネス」とは言えない。

某芦田先生の発言にこのようなものがある
“「ソーシャル」メディアの本質は、メディアプレゼンス主義(テレビや新聞に出てるからエライ、フォロワーがたくさんいるからエライなど)を払拭することにある。言い換えれば、メディアの淘汰圧、フィルター機能がいい意味でも悪い意味でも効かなくなることが「ソーシャル」の意味。”

もしこの発言の通りだとすれば、真のソーシャルメディアwikipediaということになる。
そしてwikipediaは今、とても貧乏だ。

それに、「フォロワーがたくさんいるからエライ」ことが払拭されることはおそらく間違いだ。
具体的にリーチできる人が多い人のほうが価値が高くなることは間違いないから。
それがどれほど濃い付き合いのフォロワー/フレンドなのか、なども計算に入れるべきだが。