口コミが話をややこしくする

先にちょっとだけメディア人の話をば。

実は5月6日の表参道の津田さん×市川さん(「ウェブはバカと暇人のもの」著者)のトークイベントに参加してきたんです。
多少からんで頂いたんですけど、まぁ結局「メディア人」ってくくりも最早よくわかんないねってことになったんです。

いやw、僕的にはですけど。

トークの本筋は「twitterはバカと暇人のもの?」ってことで、まとめ記事がありますのでこちらを参照。
→ http://uol.blog94.fc2.com/blog-entry-70.html

正直あっというまに終わってしまった感じで、イマイチ内容が記憶にありません。
緊張で頭に入らなかったとかそういうことではありません。断じてありませんよ。ええ。

で、僕が市川さんに質問(というか意見)したのは、
市川さんの「ツイッターでは100万パワーの人が130万パワーもてる」みたいな表現にちょっと待ったをかけたくて、ね。

多分まぁあの時の僕の気持ちを汲んで考えてみると、そういう効能が、別に「知らない人に知ってもらう」というセレンディピティ的な役割を果たしているわけではない。ってことを言いたかったんですよ。たぶんね。

フォロワー500程度の中小レベルのツイッタラー(例えば僕)がフォロワーを600人に増やすのって、まぁ手間なわけで。
それこそ100人程度のころは僕のツイートが1回RTされるのを発見したらもう既に嬉しかったですよ。
フォロワーの多い人に@over_try_againでリプライ返してもらったときは「しめた」みたいな感じですよ。まぁそれは今でも多少はあります。多少はね。
こないだの記事のタイトルに「@tsuda」ってつけたのはもともとは、記事更新した時に自動で冒頭部分をツイートしてもらうようにブログを設定していたんで、そこで「@だれそれ」さんに送ろうってのがもともとで。「新世紀メディア論」を読んだ感想を@noritakahiroさんに届けるためにしたんですよ。
今回それをタイトルにしたのは、前回の記事で初めて(超アナログに自分でHTML書いて)「この記事をRetweet」ボタンを設置したからですよ。@tsudaさんか@ksoranoさんにするか迷って、結局そらのさんは手動で僕が勝手に変えて一回だけ送りました。(意味無w)

まぁこんな話はどうでもよくて。

そうそうセレンディピティの話ね。
まぁこんな大層な話するほど僕は偉くないんですが・・・例えばPRってどうなんですかね?
いやまぁそりゃツイッターでバイラる発生させるみたいな魂胆があればセレンディピティの話ですけど、それこそ「企業がとりあえずツイッター始める」みたいなことは「いわゆる」キズナ重視な行動で、別になってきますよね。

そこでねぇ、「口コミ」ってのが話をややこしくしているんですよね。
これは、数年前ブームになった「いわゆる」口コミ市場とは全然別の、完全に言葉通りの「口コミ」っていうイメージで受け取って欲しいんですけどね。いわゆる「噂」とか「口づて」「伝言ゲーム」みたいな。

口コミがどう話をややこしくしてるのかって、これがセレンディピティかどうかってことがややこしいんですよ。
(ちなみにセレンディピティってのは本来「何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉」って意味だそうです。ここでは「知らない人に知ってもらう」的な解釈で勝手にすすめています)

「知らない人に知ってもらう」って意味なんだし、「ねぇねぇこんな面白いの知ってる?」なんていう「口コミ」はもろにセレンディピティなハズなんですけどね。

例えばここでメディアというものを持ち出してくると、セレンデピティってのは常に「不意に接触したメディア」によってもたらされるものだったんですよね。「だったんですよね」っていうのはまぁ、これまで広告代理店とかがしていた「いわゆる」広告制作のお仕事みたいな、まぁ勝手なイメージですよ。

でもまぁ既存メディアの構想が、人の情報接種への態度とか方法とかが変わったせいで変わってしまったって話だそうですし。
でもね、情報接種まわりの環境がいくら変わっても「広告」と名前のつくものは全て「不意な接触」をベースにしているとは思うんです。

だからこれからは「脱広告」なんだよ! って話なんですが。。まぁ、、ね。

広告の起源ってなんなんですかね。ググったら「商人が配り歩いたチラシ」と出てきましたけど。
でもねぇ、僕それ違うと思うんです。
もっと昔のなんかエイジプト王朝とかで王様が出すお触れみたいなものだと思うんです。
或いはもう「王様」そのものというか、集団の中に芽生える宗教観とか、そんなもんだと思うんです。

つまり何か「メディア」っていう看板に乗せられた情報という定義でなくて、人と人とで交わされる会話そのものだと思うんです。広告って。
なんだかなぁって感じですけど。

広告の原型が実は口コミで、確かにそれは当時情報伝達の手段が口伝えしかなかったことが理由なのかもしれませんけど、それをもって最近の「口コミ市場」は語られているのかな。って思うんですね。まぁ最近はCGMとか言うらしいですけど。

だから口コミってややこしい。ああややこしい。


って考えてたら、こんなエントリーが

ある広告人の告白:「表現の問題について覚え書き」 http://mb101bold.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-3f04.html

リンクもされてるこちらも合わせて読んでください。 http://mb101bold.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_6f04.html

なんかね、WEB2.0になって人々のネットで過ごす時間も増えて、情報への接触態度も変わって、なんて話はもう随分前の話すぎて我ながら悲しくなるんですが、一度は自分の言葉でブログに書き起こさないとキチンと消化されないのかなぁ、と最近思っています。(もともとこのブログも思考整理のために始めたものですし)



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