フェイスブックで広がる世界

最近、あまりに話題を目にすることの多いソーシャルメディア、それがfacebook
ユーザー登録数4億人。月間サイト訪問者数5億人。年間予想収益額10億ドル。
もはやページビュー数でfacebookに勝負できるのはgoogleだけになってきた。

位置情報系サービスで4squreが先日ユーザー数100万人を突破したということがニュースにもなったが、これと比べたら鼻くそみたいな数字だ。道ばたの石ころ並みの存在でしかない。
今日本でブームになったツイッターでさえ、ユーザーは1億を超えたばかりだというのだ。

数字だけで見ても、facebookがもつポテンシャルの強大さが分かる。それと同時に、彼らの一挙手一投足が明日のIT業界や広告業界、さらには人間社会にどれだけの影響を与えるのか、考えると少し恐ろしくもなる。

しかしfacebookの能力について、保持するユーザーの数などは判断材料になどならない。
もちろんサイトのユーザビリティやデザインやネームバリューなんかは、会社の評価額を決定するのには一役買うだろう。
どれだけ優れたサービスも、一定数の利用者を超えなければ力を発揮できない。特にソーシャルメディアに関しては。
ユーザー数とfacebookの可能性。そのふたつは切っても切れない関係でありながら、はっきりとした優劣関係にある。
facebookが生まれたから、人間はWEB社会に生きることができるようになった。

facebookの破竹の勢いと、数年前までウェブ上の話題をさらっていたgoogleを比較検討する記事が、最近多い。

米メディアが指摘するFacebook時代=ソーシャル広告でGoogle直撃【今週のピックアップ】 
http://techwave.jp/archives/51439741.html


おそらくその背景としてあるのが、次の記事で書かれているfacebookの発表だろう。

Facebook、情報共有プラットフォーム「Open Graph」を発表--開発者向け会議「F8」 http://ow.ly/1CWbT

この発表が意味することは、どういうことか。
この、オープングラフ なる機能で、facebookはどのような能力を発揮し、それが如何に他社(googleなど)にとって脅威なのか。

facebookがこの機能によって実現しようとしていることはwebをひとくくりにパーソナル化、個別適応させることだ。
あそこでの書き込み、あれのレビュー、あれを買った、全てのWEBでの動向の足跡を、facebookを介してもらうことで集積していくのだ。

ある意味で、これはgoogleと似ている。「検索」という2文字をコントロールして、WEBに点在するページというノートを全て統括していった昔のgoogleだ。
彼らの収益システムは抜群だった。検索という能動的行動の裏にある、人々の個別の情報ニーズを逆利用して、それにバナー広告を貼付けることで企業から広告料を受け取った。買いたくない人に買いたいと思ってもらうための広告。そんな昔の時代からはとても想像することのできない革新的な技術だった。
知りたい情報を手にできる。そんな状態に人々も満足して、googleに感謝した。

ところがこのわずか数年の間で、それも変わってしまった。
人はパーソナルな環境に慣れ、WEB上で自我をもつようになった。
これまで現実世界での問題発生を解決するための延長線上にあったWEBが、WEB内だけで完結したくなった。
「知りたい」という知的な欲求が、「教えてほしい」と「教えたい」という社会的欲求に変化もした。
加えてソーシャルメディアの浸透が一度認知されれば、無数の出会いと会話が成立し、それは時に現実世界の自分の生活にも波及していった。人と人がつながり、会話をかわせば、友情や愛情も生まれ、現実世界での商売にもうまくいったりした。
それははっきりと、個人が抱えていたWEB上での自我と現実世界での自分の世界とを結びつける様子であり、その喜びを覚えた人は、もうソーシャルメディアの虜だ。

正直、googleが勝つとか、facebookが勝つとかを決算報告書やアクセス解析で比較検討することは、現実世界に両足が残ったままの議論であって、ソーシャルメディアの役割とは別問題だ。
それよりも各社、各サービスがWEB社会でどのような役割をもった職業であり、その影響力に応じてどれほどの社会的責任を追う運命にあるのかを、しっかりと各自が判断していくことのほうがよっぽど意味がある。

そういう意味で、僕はfacebookを戸籍に例えてみる。
WEB上での自分のプロフィール。自分の存在証明がソーシャルメディアだと思う。
その中で交わされる会話、向けられる視線も、大きなパーティー会場にいる自分の存在証明のようなものだ。

open graph は確実にWEB上での「行動」を促進するだろう。
戸籍はWEB世界において、「人」そのものに近い意味をもつ。

WEBの世界には「家」がない。物理的、肉体的な障害のない環境では、人は休む必要がないからだ。
外敵から身を守ることも、ブロックという形でだれかが勝手にやってくれる。
本当の意味での愛情の確認は、それは現実でやればいい。

________

facebookgoogleにとって脅威になる理由は、人が知的欲求を「検索」を介さずに満たせるようになったからだ。
このブログ記事ひとつとっても、SNS上でその情報を知り得た人がリンクから直接ここにランディングすれば、そこにgoogle の役目はない。
googleは情報を本のように扱ってきたが、今はその本の1ページ1ページに出会う方法がいくらでもある。
書籍とはそもそも人間の知識を保管して、遠く離れた人、未来の人に贈るための存在で、縦横無尽に人とも出会える環境になれば価値が低下するのも必然的と言える。
だけど人間の知的欲求はなくならないから、如何にWEB社会と現実が融合しても、検索の役目はなくならない。
________

なんのことはない、たった数行の話だ。
しかも、google adsense は別の話だし、google buzz なんかももっと別の話だ。

繰り返すけど業界内での勢力図的な話は別問題。
ただ、現実問題として今からfacebook並の存在が誕生することは難しい。
世界的に見て、facebookがナンバーワンであると同時にオンリーワンになってしまう可能性は高い。
しかもソーシャルな話題となれば、「囲いこみ」やら「独占禁止法」「既得権益」なんてワードとはどうもイメージが離れてしまうのは、それは少しは気にしないといけないかもしれない。

加えてfacebookが日本での浸透に苦戦していることと、mixiやらグリーやらが到底facebookの役割を担えないことに疑いの余地はなっしんぐです。


、、、、そんな感じです。ほんと、大したことない内容です。
どうも僕はまだまだ社会学とかまで勉強する必要があるようです。



今日は久々に朝から学校に行きました。
普段ブログは家で寝そべりながら書いているので情報教育棟のパソコンの前に座ってブログを書いているとなんだかアカデミックな気分になるもんですね。