これからの放送というもの。

今現在総ツイート数が999。
ということでもしも無事にこの記事を書きあげられればその報告ツイートが1000回目のツイートになるわけです。
こういう何かの節目でもなければ真面目にまとまった記事を書こうとは思わない怠け者ですので、いっちょこの機会にちゃんとしたのを書いてみよう!・・・という自戒の念を込めて贈ります。

この記事は大きく2部に分かれていて、前半はSNS、後半が「これからの放送というもの。」というメインの話題になっています。

まず始めに、最近のソーシャルネットワークについて。
「過渡期」という一言で片付けてしまえばあまりに身も蓋もないことなんですが、少なくとも今10代の人たちは、今のSNS、そしてソーシャルマーケティングの話を世代が上のひとたちがしているのを聞いて、違和感を覚えます。
「何難しいことを言っているの?」もしくわ「何当たり前のこと言っているの?」という違和感です。
既にネットも巨大掲示板もブログもモバイルも物ごころついた頃には存在していた世代からみれば、正直多くの「ソーシャルメディアセミナー」的なもので語られる内容は自然感覚的に身についています。そのセミナーでは、スーツを着た賢そうな人が真剣な顔をしてこんな話をしているんです。

「友達をつくるためには相手に自分を好きになってもらいなさい」
「クラスメイトの陰口を言うのはやめなさい」
もっとひどいのもあります
「会話のなかに自然な笑いを組み込むことで相手に好感をもたれやすいです」
「笑いをとるために無理に自分を偽ったりしては、相手にそれが伝わって逆に引かれてしまいます」

断っておきますが、これは僕自身のソーシャルメディアに関する見識が甘くて、そういう風に単純化して聞こえてしまう、というものではありません。本当に、こんな内容なんです。

例えば、
「企業としてSNSを管理する場合、CGMというものについては積極的に仕掛けていくべきか、それとも自然発生的なものを待つべきか?」などという質問。実に中身のない質問です。これは実際の中身はこんなもんです。

「クラスの中で人気者になるためには積極的にウケを狙うべきか。それともさりげなく良い人アピールをするべきか」

もちろん、こんな質問に対してもきちんとした解答はあります。
少し検索すれば、「異性に嫌われないための10の方法」「初対面の相手に賢いと思われる10の話し方」みたいなのがゴロゴロ手に入ります。
だからこういう細やかなテクニックをとことん論理武装して、その道のプロを目指すのはそれはそれで価値のあることだと思います。広告主から費用対効果を迫られたときに、一番上手な対処法は相手に指導する立場に立つことです。相手にコーチングを行えばいいのです。

確かにソーシャルネットは世の中を便利にしました。全ての情報を皆が共有できることが当たり前になりました。そんな中で、良い評判も悪い評判もあっという間に広まるのは当たり前。ただ、今はそれが75日続かないっていうだけなんです。

最早ソーシャルネットワークをメディアと評することはナンセンスです。
ソーシャルネットワークは「世界」なんです。パソコンの中にあるものじゃなくて、一人ひとりの心の中にあるものです。
一方メディアというものは少なくとも上端があって、流れもある「川」のようなものです。そしてその下端は、もしかしたら「忘却」という名の海に繋がっているのかもしれません。

だれもかれも広ーい部屋に一緒になっていて、全員フラット。
そんな中で「目立つ」ためにはどうするか。それは簡単です、背が高ければいいんです。
だから僕は、「コンテンツ」という言葉を「背丈」に見立てていつも重要視しています。
この辺りまた複雑な話になるので、今はちょっと置いときます。



では次に、メディアとは何かという話をしてみましょう。

この言葉は今ではとても多義的になってしまっています。
例えば、ソーシャルメディアとウェブメディアは違います。前者はさっきの「ソーシャルネット世界」のことですが、後者は例えば個人のブログなどのことを指します。
http://ow.ly/1AOeS 「出版編集者が知っておきたいウェブメディアの世界」
という記事を読んだから言いますが、実はここで取り上げられているBLOGOS等のウェブメディアサービスと、今までマスメディアなどと呼ばれていた雑誌などのオールドメディアサービスは本質的に同じです。ちょっと乱暴ですけどね。本質的にとは、「何をどう楽しむか」みたいなことです。結局人は自分の知らないことを知ると嬉しいし、なんだか人に教えたくなるし。そういうレベルでの、「本質」です。

ぶっちゃけると本当は、どこの新聞局が窮地に陥るとか、赤字転落とか、どこどこ社が電子化にトライしたとか、そんなことは所謂「業界事情」なわけで、吉野家とか松屋が牛丼の値下げ合戦をしている、のと同じ程度の価値のニュースなんです。本質的には。

ただ例えば、「ツイッタ―の普及」「Ustreamの普及」「ipad発売」みたいになるとそれはその影響を受ける人の人生の幸福に繋がってくるので、また別の話になります。それはどういうことか。
もちろんどれもこれも、一企業の一サービスではあるのですが、それがひとつのサービスを超えて新しい「概念」そして「人類のライフスタイル」を提案するものである場合は、単なる新サービスとは別で論じられるべきです。

非難まじりになってしまいますが佐々木俊尚さんはそこらへん曖昧なところがたまにあります。NHK・メディア激震での論議の際は、ネットの普及にともなって「伝える・伝わる(本質)」がどうなったのかという話と、「だからサービスはどうなっていくか(業界動向の予測)」という話をしつこいくらいに分けて話合うべきだったのです。もちろんこの筋書きは前者に対する理解が相方に行きわたっていないと成り立ちません。
だから仕方なく既存の企業体質の非難に偏るのは仕方ないとも言えますが、いささか「伝えるという本質」に対する理解ないし言及が足りない感は否めません。テレビの消滅を主張するなら、その代わりに「人から人へものを伝える」という役割を誰が担うかという提案をしなければ生産的とは言えません。もちろんITジャーナリストに新規ビジネスプランの提案を要求してしまうような、そんな今の企業側も悪いことは百も承知ですが。

じゃあどんな話をすればいいんだよ。ということでひとつ、「Ustream」が変えた「放送」という言葉の定義について話をしてみましょう。

ニコニコ生放送とUstreamの登場(というか普及)によって、だれでも放送局をもつことができるようになった。iphoneひとつでダダ漏れができるようになった。
僕が全然預かりしらないところで、数多くのダダ漏れが放送されているのでしょう。例えば飲み会や愚痴のこぼしあい。
しかしその中で、多少は人々の話題に上がるものは何かとなると、ケツダンポトフさんが行ってる色々なイベントや会見を中継すること、著名なジャーナリストが記者クラブ問題などに立ち向かってiphoneひとつで権力の壁に挑むこと。そういう内容や行動に価値のあるものだけです。そこで「これからのジャーナリズムとは、報道とは」みたいな話こそ、佐々木さんら「ジャーナリスト側」とかにして欲しい議論ですよね。

ところがそこで、「ダダ漏れのゆるゆる感がいい」などの意見がでることなども合わせて考えたときに、今のUstreamの普及によって起こっている混乱が見えてきます。それは「放送」というワードが騒動の一因のような気がします。
つまり放送という「行動」に価値を見出しているのか「自分がもつ内容(コンテンツ)」を放送「できる」ことに価値を見出しているのかということです。
僕個人の見解だと、今のUstream熱は前者によりかかっていると思います。ホースを与えられた子供がそれで縄跳びをして遊んでいるみたいです。

これは多分Ustreamがyoutubeの後に普及したせいもあって、youtubeで「面白い動画コンテンツを制作して公開する」という遊びを覚えたあとだったので、Ustreamの生中継という新しさに過剰に目がいっている気がします。生中継の面白さは、つまりコメントを投稿すればリアルタイムに反映されてうれしいみたいなレベルの話は、たぶんハンゲームとかでのチャットの時代で完成しています。むしろリアルタイム=速報性という図式から、さっきの話でジャーナリズムに影響してくるところが大きいのではないでしょうか。

youtubeでは完成したものを「見せる」ことしかできませんでした。それは「公開」だから。ブログと同じことですね。一人の人がものを作って、それを誰でも見られる状態にすることが「公開」。
ところが僕が思うにUstreamが「放送」というワードの認知とともに可能にしたこと(可能なのかな?と気づかせてくれたこと)は物語を「語る」ということ。まるでブログのあとにソーシャルメディアが誕生したように、そこにはやっぱり人と人をつなげるような全く別種の可能性を感じます。

今NHKのメディア激震を見直しているのですが、
http://www.youtube.com/watch?v=ZWKnz1Xn2KY ここの後半部分で女の人が非常に的を得た発言をしています。
「今ある技術を駆使して、ユーザーに価値のある情報を提供する方法と可能性について話し合うことがメディア界の大物が集まるような大層な会場で交わされる議論なのではないか」

佐々木さんは即これに対しNOと言ってしまっているようです。テレビという企業だけを見て、その可能性を否定しています。
しかし数多くのネットベンチャーが一人の逸材、ひとつの発案から誕生したように、多様な人材を抱える企業の中には、きっと才能あふれる人も沢山いるはずで、その人達が今後テレビという形をとった、まるでベンチャーのような新規事業を立ち上げる可能性だって多分にあるはずです。僕はテレビが大好きな側の人間として、その可能性の芽を否定するわけにはいかないんです。

さらに、再び先ほどのリンクの中で、ドワンゴの川上さんがまた別な意味で良いことを言っています。
「ネットにおいてコンテナを握っているのがグーグルやアマゾンなどの外国企業である」ということを問題意識していて、なるほどこれは長い目で見て確かに日本全体の利益にまで影響することだと思います。

じゃあ!
そういう立派な意見が出る場所なんだから!
そこで、日本人の全てに(一応は)リーチできている「テレビ」という存在を、新しい日本という国をトラフィック対象にしてソーシャルメディア化するという可能性はないのか。そんな話をして欲しい。

次世代の「テレビ局」ないし「放送局」というものが、「日本人」を対象にしたソーシャルメディア的な存在になるということはないのか。そんな話をして欲しい。

確かに今の各テレビ局が展開している自社サイトやNHKオンデマンドなどのサービスを見れば、実現には遠く及ばないような気もします。でもこの「構図自体」は真剣にあり得る話で、あと数年もすればそれが見えてくるんじゃないかと僕は思っています。それが既存の民放の内から生まれるのか外から生まれるのか、そこはテレビ局の頑張り次第ですよね。


・・・
なんか予定外に佐々木さんの話題ばっかになってしまったなぁ。。
わざとじゃないんですが。。
あまりに長くなって疲れたのでここまでにします。。