「結局のところ・・・」というツイートが多い理由

前々からなんとなく感じていたのだけど、
「結局のところ・・・」というツイートをよく目にする。

@匿名希望: 「プロデューサー」って嫌いですが、やってます。
@匿名希望: 「クリエーター」って嫌いですが、憧れます。

どういう特徴があるのかっていうと、
・誰に対する@でも、RTでもなくて
・自分の感情に近い思いを漏らしていて
・当然だれからも返答など求めていなくて(疑問形で終わらなくて)
・だったら書かなければいいのにたまに書きたくなって
・書く暇があれば実行しろっていうことは痛いほど分かっていて
・それでもまたつぶやく

、、みたいな。

こういうつぶやきは、する人はするし、しない人はしないって分かれると思うんだけど、少なくとも自分の周りにはするタイプの人が多いのかと思う。テレビ界とか広告界の人が多いのですけれど。

たぶん皆、「これが真理」だろっていう気づきというか、理解みたいなことに出会うことってあると思うんです。
・それ言っちゃう?言ったらそれで思考停止しないか?・・・ってパターンもあるし、
・それで?その先が知りたいんだよ・・・ってパターンも多い。

僕はいつも、答えはシンプルな中にあると思っているから、というか皆そう思ってると思うから、
でもシンプルな答えって、ブログに書くほど説明できないし。
自分の言葉かのように偉そうに言うこともできないし。
短い回答式なもんで、見てくれた人に説得力あるのか自分では判断できないし。
そもそもそれって正しいのか?ってつい懐疑的になっちゃうこともあるし。
でも「分かる人には絶対分かるはず」って思いもあるし。

ブログとツイッタ―の違いですかね。
ブログって、その内容はコンテンツのはずで、
だって自分が書く記事の内容に関わらず、ブログの画面はいつもWEBページ一枚なんだし、
記事を充実させないで読者を獲得する方法なんてないし、
でも一方でツイッタ―は、結構純粋にメディアの所持みたいな一面があって、
例えば適当に呟いてフォローしまくれば多少はフォロワーも増えるし。
そのフォロワーはタイムラインの充実を望んで、あまりに面白くないツイートばかりしてると外されるかもしれないけど
基本的にはあなたに何も期待していなくて、
だからシンプルに「自己発信を届かせる方法」というメディアをもつ特性が濃くて、

だからブログに記事を書くっていうのは、見せるひとに期待をさせちゃうし、期待をされていると感じちゃう。
「だれか見てくれー」っていうツイッタ―と違って
「もうこれを見てくれてる人にはガッツリ読まれている」というのがブログなわけで。

まぁ、140文字という制限だったり、フォロー・フォロワーの緩い関係性がいいのだろうね。

・・・っていう、2年も前に語りつくされている結論に辿りつくのね、結局のところ。