広告の価値尺度

ものを売るという言葉があります。

ものを作って売るということです。
自分の手でひとつひとつものをつくり、売れた数量で儲けを得ます。

広告会社だって、ものを作っているのに、それを売っていない。買われている。

なんなんだろう、この状態は。

僕は前々から、広告を打つということ、その広告を創った人に支払われる報酬というものは、どうあるべきか悩んでいた。

極論というか理想論をいうと、その広告を打ったことで、打たなかった場合よりも売れた分の99%だと思う。

広告とコンテンツの垣根がこれからどんどん薄くなる。これは、広告を楽しいものだと思ってきた僕的な人には普通の肌感覚で、
要は何をもって広告と呼ぶか、PRと呼ぶかという、ただの定義域の問題でしかなくなるだと思う。

ネットを利用したロングテールのモデルというのは、極めてマーケティング寄りな発想でロングテールのテールの部分を精密にしようというものだと思う。グラフの「解像度」をあげるみたいなイメージ。あの、ポリゴンみたいなやつ。

広告、プロモーションというものは、というか、それ以外での「広告」の面は、そのロングテールの胴体を持ち上げることだと思う。

徐々に下降する曲線に、断絶的にジャンプを与えて、面積を広くするようなイメージ。・・・まぁ実にマス的な発想ですが。

コンテンツとadの関係っていうのは、まだまだこれから議論され、模索されるでしょうねぇ。

今目の前にあるiadなど、最たるものではないでしょうか。説明会でジョブスが解説して見せたナイキのやつとか、あれはまぁ極端な気もしますが(その分凄さがわかりやすかった)。あれを広告と、今の日本語で表わすとますます混乱が起きます。

結局、広告会社がアプリで広告する、なんて考えよりも、ゲームをつくる、そのゲームを売る、Tシャツだってデザインする、音楽も作曲する、なんてことになればいいんです。そのために必要なものは、広告会社のブランド構築です。


ところで・・・メディアというものに、ブランドという色を付け加えることはできるのでしょうか?また考えてみます。


飲み会明けで寝るタイミングを失ったポンコツ状態で書くとより一層実の無い記事になるですね・・・。