たぶん、今も昔もテレビとか広告が好きな人にとっての「広告」という言葉の意味は。。。

日本のマーケティングって広告という意味で使われていることがほとんどですけど、本当は、広告ってマーケティングの一部でしかないんです。買ってもらえる仕組みをトータルで考えていくのが、本来のマーケティングです。(河野武)出典:http://bit.ly/aklnZ2

なんてツイートが!!

即効「賛成できない」とRTして、しばらくもんもんとして、挙句の果てに、「こんなことをいうやつはうんこだ」とRTしてしましましたw

まぁ出典された書籍も読んでないのでこれ以上ぶーぶーいっても仕方がナッシングですね。やめましょう。

でもでも、「マーケティングって広告という意味で使われていることが・・・」だなんて、

今も昔も広告好きなひとは、少なくとも僕はマーケを広告と同じものだと思ったことなんて一度もありませんよ!?
いまだって、名だたる広告クリエイターはマーケと広告づくりは別ものに扱っていますし、
50年くらい前から、コピーライターの世界ではマーケは邪魔者扱いでしたよ!!

どちらかというと自分たちの理論が広告を支配していると勘違いして広告制作の領域にズカズカ踏み込んできているのはマーケのほうでしょうが。

「買ってもらえる仕組みをトータルで考えていくのが、本来のマーケティングです。」

うーん、この部分はまだ正しいのかも。。。正しいというか、そういう主張は認めます。この人なりにマーケが好きで、こういう意見がでてくるのは結構なことです。

ただ、リアルな話、「買ってもらえる仕組みをトータルで考える」って、どんだけマーケをよいしょしてるんだよって思います。マーケはそんな大層なものではないと思います。僕が知りえるのは、古典的なダイレクトマーケの手法くらいで強く言及できないのがつらいところですが。

仕組み。トータル。 という言葉を聞くと、どうしても最近はやりの「コミュニケーションデザイン」なんてものを想像してしまいます。
でもそれだって、大切なのは「気持ち」「おもしろさ」というクリエイティブの部分。エンタメの部分。

マーケはセグメンテーションばっかり詰めていって、しまいには自己矛盾からの内部崩壊に陥っていればよろしい。

(旧)広告屋とマーケは水と油くらいなじまないものだというのは、昔から運命づけられているのです。




・・・でもまぁ、今後しばらくは、マーケ段階からでの設備投資というか、環境整備が大事&チャンス&希望のような気もします。
お互いに頑張れれば、それが一番ですね。なんて、丸く納めたり。