広告マーケティング21の原則・改・その1

21世紀に移り10年が経過、人々の生活環境は劇的に変化した。そして今も、その速度は衰えを見せない。人々の生活に密着し、人と対話し、介在するものである広告が同じように劇的に変化してきているのは当然のことと言えるだろう。

かの有名なクロード・C・ホプキンスが広告における原則を定めたにも関わらず、未だ「広告」という価値が流動的であり、掴める気配もない理由は、消費者と商品の不確かさにある。個人の性質、嗜好や偏見、好き嫌いを判断することは難しい。特定の商品がヒットするかどうかを断言することは極めて難しい。

今日の広告に詭弁や机上の空論、幻影が入り込む隙はないのだろうか。ネットの世界にあふれる誠に真なる情報の嵐を目にしてもなお、広告は普遍的な法則であると言えるのだろうか。

本記事の大きな目的は、変わり続ける生活環境を踏まえ、かの名著「広告マーケティング21の原則」を読み解くものである。

数々の華やかな成功が広告の可能性を示している。広告の多様性を見れば、広告の対象はほぼ無限であることがわかるだろう。
けれども、そこには必ず2人以上の数の人が存在し、つまり広告がある。

  • リーダーシップ-

広告を正しく理解するためには、また広告の初歩を学ぶためにも、まずは広告とは何かを考える必要がある。広告とは価値だ。広告の原則は価値の創出・伝搬である。
現代では、広告はばくぜんとした印象を与えるためだったり、社名を誇示するために使用されることが珍しくない。商品を売る以外の様々な用途が開発されてきた。しかし広告の採算性は実際の売り上げ高に基づいて判断しなければならない。全体予算の何割を割く、原価の何倍の広告費をねん出する、という風に考えることは大きな誤りだ。それと合わせて、常にその広告が存在しなかった場合に比べてどれだけの利益が上がったかによって広告の価値を考えなければならない。
広告に過剰な慎重性と厳密性をよせて出来上がるのは、価値を生まないつまらない広告だけだ。広告はセールスマンシップでもあり、リーダーシップでもある。セールスマンの失敗はたいした損害にならなくても、リーダーの失敗は会社の存在を根底から揺るがすことになりかねない。広告とは事業そのものと同列に考えるべきものである。
優れたリーダーとは、皆つつましく誠実で、人間性にあふれ、自分の売るサービスについてよく知っている。凡庸な人間とは違う視点で世の中を観察し、少ない言葉で人を引き付けるだけの魅力をもつ。広告と会社の社長を結び付けて、一片のゆがみもないものが優れた広告である。

広告を企画し実施しようとする時は、常に典型的な人を想像しよう。あなたの名前など聞いたこともない人を思い浮かべるのが無難だろう。

消費者をいつも集団で捉えてはいけない。彼らを自分の集団に招き入れるのだ。自分がその集団を束ね、先導し、はっきりとした輪郭を描くのだ。読み手を楽しませる広告を作ろうなどとは考えてはいけない。楽しまなければいけないのは常に自分自身なのだ。他との差別化を図っての奇抜さはよくない。ふざけた自己満足も、真剣になりすぎるのもよくない。そこには広告を出すものの姿がリアルに反映されていなければいけない。広告をつくるものも、広告をだすものと一体にならなければいけない。同じ飯を食べ、同じ空気を吸い、同じ世界を見るように努力しなければいけない。
広告が失敗する最大の原因は消費者が求めてもいないものを売ることだ。広告は人々にものを求めさせるように機能しなければいけない。人が求めたものがその人の手に渡ることは、これは自然の道理かのように達成される世の中に変わったのだから。

人と人がいて、その間をつなぐものの存在は必要なくなった、そしてじきにいなくなる。繰り返しになるが、そこには人と人がいるだけである。