クリエイティブなんていう言葉の、なんて格好良いことでしょう。
デザイナーという職種の、なんて格好良いことでしょう。

クリエイティブだね。って言われる人は、どういう理由で周りからそう思われているのでしょうか。
恐れながら僕もたまには言われます、周りの友達くらいからですが。でもそう言ってくれるやつは、あまりにクリエイティブとは反対のやつですので、たぶん、「変わったことを言う」くらいのスタンスなのかもしれませんね。事実、僕もそう思います。僕程度の発想は、クリエイティブなんてもの代物ではとてもありません。

たぶんクリエイティブは、特殊技能の類でしょう?というより、特殊技能無しでは成り立たないものなのでしょうね。
特殊技能のないクリエイターが存在するとすれば、その人はせいぜいオタクか、程度の低い批評家にしかなれないと思います。

一方デザイナーは、真のデザイナーとは、もちろんクリエイティブな人間でもあるとは思いますが、なにぶん単なる「職種」として言葉が使われることもあるので、つまり、「デザインを仕事に喰っていく人」という意味になります。となるとその人がデザイナーであるという説明は、特殊技能の有無よりも、センスの優劣よりも、デザイナーとして喰っていくという夢のある人、という色・意味合いが濃くなります。
そういう意味で、僕はデザイナーというものには一生なれないと自負できます。
なんでかっていうと、僕の感覚で、デザイナーって芸術家と似たポジションなんです。純粋に表現をひとつひとつ作っていくことを一生続けるような、そんな職人のような存在のイメージなんです。

広告人は3人(コピーライター、デザイナー、プロモーター)で働くと以前エントリーで書きまして、同時に芸術家は一人で働く、とも書きました。そういう意味でデザイナーはグループで働く、もっと社会的な芸術家ということになります。
たしかに、少し前までは、広告代理店内でも、デザイナーと言われると、制作の1段階、1専門チームとして、他のメンバーとは別行動のような感覚でした。よくいえば、分業体制です。

コピーライターも、古い考えでは立派な「コピーライティング」という特殊技能をもった専門職でした。言葉を綴るプロという扱いでした。
本当に、コピーデザイナーという言われ方をされなかったのが不思議なくらいです。

なんだけど、それじゃ駄目だねっていう考えが生んだのは、最近出てきた「コミュニケーションデザイン」という言葉ですよね。

それぞれのプロが専門的に技術を磨きに磨いて、作ること。作品としては素晴らしいことだけど、広告は、その作品としての高みよりも、もっと広さを追求していかなければならない。

だから、一人が一貫して企画をマネージメントして管理する、コミュニケーションデザイナーという仕事が生まれたのでしょうね。

でもね、肝心なのは、その、コミュニケーションだって、立派に特殊技能を持っていなければ話になりません。それこそ、技術的には普通に制作屋として喰っていけるだけの。まぁ、当たり前ですよね。特殊技能も持たずに企画ばっかり考えるのでは、何も昔と変わりませんからね。


うーん。。。