「好き」の反対は「好きじゃない」という時代

好き嫌いが分かれる、という言われ方がされます。
ところが最近の世の中では「好き」の反対は「好きじゃない」という考え方になっているのかな、と思います。
世の中の仕組み的には、「好き」の反対は「好きじゃない」というのが普通なのかな、と思います。


「好き」という言葉は、人間の感情の問題ですので、マーケティングや広告活動を考える際にワードとして用いられにくいものだとは思いますが、今後ますますその重要性は高まってくるでしょう。

マーケットが成熟して、情報を無料で手に入れられ、かつオンラインですぐさま購入できる世の中に、購買力を握っているのはそのひと個人の「好き」という気持ちです。次点で、「興味・関心」といったところでしょうか。

「興味・関心」を扱おうという試みは、市場に似た商品があふれかえっている、広告もあふれかえっている、自ら能動的に情報に到達できるネットの出現、などによって、個人個人がどんどん企業の広告を自分と関係のない邪魔者ととらえる雰囲気になったことから始まりました。
さて、ここでいう自分に関係のあることとは、面白そうなこと、人に伝えたい、「遊び」の要因が強いもののことを指してきたと思います。そういう「楽」の精神状態の先にあるのが、僕が思うに、「好き」という形なのかなと。

「好き」になる前の段階に「興味・関心」というものがあるので、論理的に考えても「好きの反対」=「好きじゃない」という図式はあながち間違っていないのではないでしょうか。
企業にとっても、好きの反対、好きじゃないという事実が、一番の問題ごとだと思うし、一部のアンチのような反対派が出現することには、企業はさしてびくびくしていないのではないかなと。反対に、嫌いという言葉に敏感なのはいつだってメディア側だったのでは?