「盛り」の話。ラーメンじゃないよ。

CMの好き嫌いというものは、どうしたって出てしまうものです。
http://www.youtube.com/watch?v=Lo1tUPHb_60
このCM、僕は嫌いです。

とまぁ、個人的な感想よりも、今回はCM演出上の「盛り」の話。
ちなみに「盛り」なんて僕の造語なんで、適当に読んでください。

「盛り」と言えば少し前に流行ったキャバ嬢の「鬼盛り」系髪型とかがありますね。
今回はそれのCMでのお話です。

つまり「音や映像に手を加えまくることで派手にすること」です。色々語弊はでてしまうでしょうが。

この「加えまくる」っていうのが曖昧なところで、実は普通に見えるCMにだって編集の段階で様々なエフェクトがかけられていて、CMでいう「編集」とテレビでいう「編集」は全く違うものです。この、普通レベルの演出としての編集は、「盛り」ではありません。

ではどういうものが「盛り」なのかというと(悪魔でも僕の造語を僕が定義しちゃっているだけなんですが)、
内容の本質にそぐわない過剰な演出が「盛り」です。大分否定的な意味合いになりましたね。

例えば↑でURLを張ったCM。僕が嫌いだからなのかもしれませんが、あそこでの光の軌跡のようなCGは完全に「盛り」扱いです。

では、人はなぜ盛るのか。

それは、盛ったらそれなりに見てくれがよくなるからです。CMとしての派手さを保持するからです。
なんの目新しさやアイデアがなくても、盛りに少し手間をかければせめて素人っぽさだけは抜けますよね。それが目的です。

いえ、もしかしたら「盛り」とは、優れたクリエイティブを持たずして企画が進行され、その過程で自然発生的に誕生する「結果」なのかもしれません。

ところで、
僕が広告を好きになったきっかけはじつは、「このCM、例えばだけど、もっと画面を金ぴかにしたりチカチカさせたりしたら、目立つのになんでそうしないんだろう」と思ったことなんです。
つまり、このころすでに僕は「盛り」を意識していたんですね。

だけど、幼い僕を擁護して、「盛り」を最大限好意的に解釈すれば、それは昨今の卓越したCG技術を利用した表現の新たな可能性でもあります。映画でいうとアバターですよアバター

盛ることは何も悪いことばかりではなくて、純粋に映像美で訴求するタイプのCMのひとつの手法にもなりえると考えます。音楽でも例えば、大衆向けな音楽、ヒットを狙った歌ってどこか「音が多い」ですよね。そういう曲って「なんか格好いい」「なんかいいよね」って風に人に思わせるくらいの力は持っています。
概してただ単に全体のイメージをケバケバしくしてしまうリスクはありつつも、でっかいスケールのキャンペーンではたいてい少なからず盛られているものですし。


ということで、みなさんも派手なCM演出を見たときは、
「盛ってんな〜」とか思って見てください。