サービスとしてのソーシャル

ソーシャルメディアというものを、サービスとして見てみようというのが今回のお話です。
まぁもともと、mixiやらモバゲーなんかは、はっきりとSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)という風に「サービス」という名前だったのですが、最近はツイッターフェイスブックなどと全部ひっくるめて「ソーシャルメディア」と言われてしまっているような気が(勝手に)するので、そこの線引きは大事なんだけどなぁと思った次第です。

http://techwave.jp/archives/51447138.html
「ソーシャルショッピングの未来」についてのこちらの記事を参照します。

サービスとしてのソーシャルとは、参照記事で言っているようにECサイトにlikeボタンを設置導入するようなことだと思います。
ソーシャルフィルタリング、つまり、自分が意見を聞きたい人からの意見を聞くことができる。ということを実現するわけです。

ただまぁ、フェイスブックユーザーの平均的なフレンド数は130人というデータがあったはずなので、ぶっちゃけその130人と服を買うECサイトでハチ会う機会ってかなり少ないんじゃないでしょうか。むしろ気まずくなったりすることもありそうですね。

130人の中でたまたま同じLevisでの買い物を促進させるよりも、単純に「何十人がlikeボタンをクリックした」みたいな。そういう単純な指数としての価値のほうがまだあると思います。今のところですが。

これから様々なコンテンツの流通がソーシャル化していくと想像して。そのサービスを考えたときに、求められているのはもっとコンテンツに寄り添った空間なのかなぁ。と
その「空間」ってのはどうやらコンテキストとかいう名前でよばれて、それが「人」によって運ばれて、ソーシャルなウェブ上でフィルタリングがされているという見方らしいです。最近は。

ただ徐々に欲求がでてきているのは、コンテンツそのものの空間に立ち入ること。って感じですかね。
例えば電子書籍の衝撃 において、#denshi ってつけて、読んだ人の感想なり意見交換なりを活発に行う流れ。
それを実現するサービスは現状では例えばさっきいった#(ハッシュタグ)という機能そのもの。とかトゥギャッターとか。


とりあえずこれで公開しますね。

口コミが話をややこしくする

先にちょっとだけメディア人の話をば。

実は5月6日の表参道の津田さん×市川さん(「ウェブはバカと暇人のもの」著者)のトークイベントに参加してきたんです。
多少からんで頂いたんですけど、まぁ結局「メディア人」ってくくりも最早よくわかんないねってことになったんです。

いやw、僕的にはですけど。

トークの本筋は「twitterはバカと暇人のもの?」ってことで、まとめ記事がありますのでこちらを参照。
→ http://uol.blog94.fc2.com/blog-entry-70.html

正直あっというまに終わってしまった感じで、イマイチ内容が記憶にありません。
緊張で頭に入らなかったとかそういうことではありません。断じてありませんよ。ええ。

で、僕が市川さんに質問(というか意見)したのは、
市川さんの「ツイッターでは100万パワーの人が130万パワーもてる」みたいな表現にちょっと待ったをかけたくて、ね。

多分まぁあの時の僕の気持ちを汲んで考えてみると、そういう効能が、別に「知らない人に知ってもらう」というセレンディピティ的な役割を果たしているわけではない。ってことを言いたかったんですよ。たぶんね。

フォロワー500程度の中小レベルのツイッタラー(例えば僕)がフォロワーを600人に増やすのって、まぁ手間なわけで。
それこそ100人程度のころは僕のツイートが1回RTされるのを発見したらもう既に嬉しかったですよ。
フォロワーの多い人に@over_try_againでリプライ返してもらったときは「しめた」みたいな感じですよ。まぁそれは今でも多少はあります。多少はね。
こないだの記事のタイトルに「@tsuda」ってつけたのはもともとは、記事更新した時に自動で冒頭部分をツイートしてもらうようにブログを設定していたんで、そこで「@だれそれ」さんに送ろうってのがもともとで。「新世紀メディア論」を読んだ感想を@noritakahiroさんに届けるためにしたんですよ。
今回それをタイトルにしたのは、前回の記事で初めて(超アナログに自分でHTML書いて)「この記事をRetweet」ボタンを設置したからですよ。@tsudaさんか@ksoranoさんにするか迷って、結局そらのさんは手動で僕が勝手に変えて一回だけ送りました。(意味無w)

まぁこんな話はどうでもよくて。

そうそうセレンディピティの話ね。
まぁこんな大層な話するほど僕は偉くないんですが・・・例えばPRってどうなんですかね?
いやまぁそりゃツイッターでバイラる発生させるみたいな魂胆があればセレンディピティの話ですけど、それこそ「企業がとりあえずツイッター始める」みたいなことは「いわゆる」キズナ重視な行動で、別になってきますよね。

そこでねぇ、「口コミ」ってのが話をややこしくしているんですよね。
これは、数年前ブームになった「いわゆる」口コミ市場とは全然別の、完全に言葉通りの「口コミ」っていうイメージで受け取って欲しいんですけどね。いわゆる「噂」とか「口づて」「伝言ゲーム」みたいな。

口コミがどう話をややこしくしてるのかって、これがセレンディピティかどうかってことがややこしいんですよ。
(ちなみにセレンディピティってのは本来「何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉」って意味だそうです。ここでは「知らない人に知ってもらう」的な解釈で勝手にすすめています)

「知らない人に知ってもらう」って意味なんだし、「ねぇねぇこんな面白いの知ってる?」なんていう「口コミ」はもろにセレンディピティなハズなんですけどね。

例えばここでメディアというものを持ち出してくると、セレンデピティってのは常に「不意に接触したメディア」によってもたらされるものだったんですよね。「だったんですよね」っていうのはまぁ、これまで広告代理店とかがしていた「いわゆる」広告制作のお仕事みたいな、まぁ勝手なイメージですよ。

でもまぁ既存メディアの構想が、人の情報接種への態度とか方法とかが変わったせいで変わってしまったって話だそうですし。
でもね、情報接種まわりの環境がいくら変わっても「広告」と名前のつくものは全て「不意な接触」をベースにしているとは思うんです。

だからこれからは「脱広告」なんだよ! って話なんですが。。まぁ、、ね。

広告の起源ってなんなんですかね。ググったら「商人が配り歩いたチラシ」と出てきましたけど。
でもねぇ、僕それ違うと思うんです。
もっと昔のなんかエイジプト王朝とかで王様が出すお触れみたいなものだと思うんです。
或いはもう「王様」そのものというか、集団の中に芽生える宗教観とか、そんなもんだと思うんです。

つまり何か「メディア」っていう看板に乗せられた情報という定義でなくて、人と人とで交わされる会話そのものだと思うんです。広告って。
なんだかなぁって感じですけど。

広告の原型が実は口コミで、確かにそれは当時情報伝達の手段が口伝えしかなかったことが理由なのかもしれませんけど、それをもって最近の「口コミ市場」は語られているのかな。って思うんですね。まぁ最近はCGMとか言うらしいですけど。

だから口コミってややこしい。ああややこしい。


って考えてたら、こんなエントリーが

ある広告人の告白:「表現の問題について覚え書き」 http://mb101bold.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-3f04.html

リンクもされてるこちらも合わせて読んでください。 http://mb101bold.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_6f04.html

なんかね、WEB2.0になって人々のネットで過ごす時間も増えて、情報への接触態度も変わって、なんて話はもう随分前の話すぎて我ながら悲しくなるんですが、一度は自分の言葉でブログに書き起こさないとキチンと消化されないのかなぁ、と最近思っています。(もともとこのブログも思考整理のために始めたものですし)



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メディア人ってなんだよ。@tsudaさん.

evernoteが絶好調のようです。登録はまだですが、サイトを覗いてみると、なんか大物オーラが垣間見える構成でしたw

ソーシャルメディアの役割について、まぁこれまで何度もしつこく書いてきました。イマイチ伝わってない感がありますが。
SMによって世の中がどうなるか、みたいな話よりも、こういうサービスの果たす役割、みたいに具体例を引用していったほうがイメージが湧くかもしれませんね。今後の課題。

※実は僕一応facebook登録しているのですが、噂のユーザーインターフェースの良さをいっこも実感できていません。このブログでも「すごい」って持ち上げてばっかなのに。。。なんか使い方よくわかんない。。。ショボーン


で、話はustreamなんですが、うーん、まだまだねぇ、皆の方向性とかが固まってすらいないみたいな状態って感じですね。
正直まだねぇ、よくわかんないんですよ。僕も。

ひとつ言えることは、キホン僕はテレビベースで物事を思考するので、「ustで何ができる?」なんて聞かれた時には、ustで出来るテレビ像みたいな話をしてしまいます。意外とここが他の多くの人との違いなんでしょうねぇ。

ケツダンポトフのそらのさんってポジションは、どちらかというと「テレビ的」ですよね。
津田さんはそらのさんを指して「メディア人」と言っていましたが、この言葉、どんな定義なんでしょうね一体。

http://twitter.com/tsuda/status/13059808321
http://twitter.com/tsuda/status/13059987211
津田「ただ、1個重要な問題はそらのちゃんみたいな人は新しい「メディア人」であっても、(少なくとも現時点では)新しい「言論人」ではないってことで、ニコ生、Ustの出演者固定問題って結局「メディア人でありつつ言論人でもある」って人の少なさにあるんだと思う。適性の問題と言い換えてもいいかも。」
津田「行動を伴いつつ言論活動をする人で、かつその意見を発表する場所や手段が旧メディアに限定されず、新しいメディアを活用することに意欲的、ぐらいの感じですかね。」
http://twitter.com/kawango/status/13059615197
ニコ動の人「とりあえず自分なりの結論。ニコ生のテーマは社会的立場があり、ネットに遠いひとにどんどんネットにでてもらうこと。それぞれのジャンルでの新人発掘自体はブッキングという意味ではたぶんできることは少ないので、いろいろなひとが登場できる面白い場をつくることを考える。ってかんじかな。」


こういうの見てるといつも思うんですが、「メディア人×言論人」の人って、今旬だと思いません?
それこそ津田さんとか、ツイッターがブームになって、メディア崩壊みたいなことで、今が一番旬なだけなんじゃね?って思うことは、ちょっぴりあるんですね。
そもそも「これからのソーシャルメディアとは」「ツイッターのこれから」みたいな話題って、今だからこんなに活発なわけで、一生続くわけじゃないですか。もちろんこの「分野」の話題って時代時代で移り変わっていって、そのたびに旬ってあるんでしょうね。
そういうのんの嗅覚にするどいことも「メディア人×言論人」に求められてくるはずでしょうし。
そうすると例えば「5年後の津田さん」って何やってるのかなぁ。。って。まぁ考えてみれば面白いですよねw

多分「言論人」にしっかり片足置いてる人は、たぶんずっと言論人やってるんでしょうねぇ。職業的にね。まぁ普通に。
ただ2chのひろゆきさんとか、ニコ動の川上さんとかは、事業家に軸足たってる気がしますよね。(ひろゆきさんは違うのかな?)
そこで、さっきの津田さんのツイートの通りで、今は「メディア」について「新メディア」で語れるレベルの人が数的に少ないから、お呼ばれがかかるみたいな感じですね。

・・・

なんでこんな話してるのかって、まぁ、僕がジャーナリストという職業に対する理解が足りないからなのもあるんでしょうけど、例えば津田さんがビジネスするみたいなことってないのかなぁって。
ツイッターはこんなに良いんですよ」「これからのソーシャルメディアとはこんなんですよ」みたいなことを言って、それでお金を得ていく形。なんかね、「それで最終形?」って思いは残るんですよね。
まぁもちろん、企業に対して「ソーシャルメディアマーケティングのコンサル業務」みたいな感じになるとまた違う専門領域の話なんですけどね。戦場ですしね。まぁどっちも。

企業の最前線で働く前衛的な人は、まぁ津田さんが一般公開してる講演で話している内容くらいのことは分かっていると思うんですよ。「くらい」って言ったら失礼なんですけど。でもコンサルの人にとって、顔の知名度で講演とかで稼いでる津田よりもソーシャルメディアについて理解が浅い、なんて、死活問題じゃないですか。というか、職業的に許されないでしょ。

おいおいじゃあ津田って男はちょっとしたプロなら誰でも知ってるようなことを偉そうに語ってそれで賢いキャラでお金稼いでるのか?って話ですよね。
・・・うわぁ、しつれーい。でもこれ半分くらい当たってるのかなぁ。どうなんでしょう?津田さん。


・・・高い確率でこんなのとてつもなくバカな質問なんですよね。たぶん。それが「職業」というか、「働く」ってことなんだよ。っていう大人の冷たい視線が痛いですよ、ええ。

「職業の分化・専門化」が進んで、それで資本主義は成立しているみたいなことは、一応僕も習ったんですがね、比較社会論って授業で。
でもね、少なくとも「発信」する分野では、専門性って薄くなったはずですよね。今やだれでも発信できる時代ですし。
なんかね、ウェブ周りの「編集者」的立場の専門性ってものが、また見直されてますよね。「それってどういう専門性?」みたいな。

まぁなんか、ジャーナリストというか、言論する人を卑下するわけでは決してないんですが、
まぁ孫さんとかホリエモンとか、ツイッター周辺だと結構言論人の一面も持ってると思うんですよ。でも彼らの本分ってそこじゃないじゃないですか。(ホリエモンのメルマガが1万人に届きそうですげーってのニュースになりましたけど。。。何やってんだろうねあの人。メルマガおれも無料試し読み1カ月してみたけど・・・まぁ月845円の価値はなかったよ)。
これまで「ネットに遠かった」=「ネット上での自己発信」に疎かったカリスマが、メディア的な発言力を持つ兆候がこれでしょうね。
そんな中で、津田さんの本分って何なのかな!?見てみたいな!・・・っていう、応援したい気分なんですよ。むしろ。

で、それと対照的な感じでそらのさんは「メディアであることに軸足置いてる人」として、なんかもっと頑張ってもらいたいなぁ。少なくとも津田さん並みにソーシャルメディア時代についても理解を深めてさ。
あの人いつもおっとりしてはる人やけどさ、やってることなんてもうすでにベンチャーですよね。
動くお金の額の問題じゃないんだって。

ひとつウェブ上での「放送局」を持とう・立ち上げようという試みなわけじゃん。
そのベクトルの向きって、そりゃ津田さんとは全然違うでしょ。むしろ川上さんに近いんじゃない?
「言論人ではない」って消極的な言い方されたけどさ、逆に言うと実は彼女がまだ唯一のメディア人なんじゃないの?実は。
津田さんとかさ、別にただの言論人なわけでさ、夕方の情報番組のコメンテーターみたいなのと同類なのよ。マックス卑下して言うとね。別にメディア人じゃないよ。佐々木さんみたいに「ITジャーナリスト」くらいの肩書だよ。

「誰でもメディアを持てる、発信できる」だなんて言ってる時代にさ、メディアを持つ側からのアプローチかけてんだよ。そらのさんは。

なんかいろいろ話ずれましたが、結局僕はテレビが好きなんです。それだけです。はい。

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twitterの2面性。「微分論的」と「facebook的」

参照URL
http://public.iwork.com/document/ja/?a=p1065006882&d=H.ashida_presen2.key
(twiiter 微分論)
http://www.ustream.tv/recorded/5227533/highlight/69559#utm_campaign=fhighlights&utm_source=7&utm_medium=ローカル・ニュース
twitterは何を反映し、何を生み出すのか)

twitterの機能を「微分」と表現するのはまぁそりゃ面白いですよね。芦田先生は理系ではないそうでしが、たしかに「微分」って言い方すんなり来ます。私立文系タイプの人、高校数学やってねぇって人には少し厳しいかもしれませんが。

まぁいろんな議論がまた活発に交わされてきていて、またひとつtwitterが曲がり角に来たのではないか、という状態ですよね。
なにせ米国で圧倒的なパワーをもつfacebookが浸透していなかった日本、そこにtwitterが割り込んできて一気に世界第二位のユーザー数をその日本で獲得したとなれば、これはまぁ世界的にみても(facebook的に見ても)大きな関心ごとなのではないでしょうか。

twitterが今後さらに浸透するのか、それともブームとして消えていくのか、2番目の参照先でディスカスされていますね。

僕はもちろんtwitter が人間にとってfacebookにとって変わる存在になるとは思ってもいませんが、少なくともその一翼を担うくらいの可能性はあるのではないでしょうか。特に日本人にとって。考えようによってはこれでfacebookなどの真のソーシャル世界に日本人がなじむいい契機になったのかもしれませんし。

微分論で語られているツイッターの機能、これはもちろんあるのですが、その一方でそれが浸透すれば今の日本で果たしてくる役割がもうひとつ生まれてきて、それがfacebookのlikeのようなものの代替だと思うんです。僕はね。

ようはソーシャル世界でつながっている、「意中の人」が何を見て、何を買い、何を薦めているのかを知りたいという欲求を満たす役割です。amazonでも楽天でもitunesでも、あ、あのいつも素敵なツイートのあの人が読んだ本なら買おう。みたいな体験。これって実はツイッターだけでもやろうと思えばできるんですね。

ただ現状問題、まだ機能のほうがそれに応じていませんよね。ブログ記事にretweetがあるくらいで、まだamazonとかは、もうちょっとかかりそうな気がします。

微分論でも述べられてますが、まぁ各人のツイートはストックされますが、それはTLとはまったく関係のない機能と便利さですよね。で、やっぱりlikeとかのデータって、ストックなんですよ。ストックしているのを見るものなんですよ。

「どろりっちなう」とか「○○という本買った:bitly.adva」みたいな。これって他のツイートと一緒の姿でTLを流れるんですけど、真価を発揮するのはストックされた状態で、なんですよね。

これを少し見方を変えると、ツイッターのフォロワーはどこまで増やすべきかって話とも関係してきます。
なんでかっていうと「少ないフォローのTL」は流れが遅くて、いわゆる「微分が薄くて」、ストックに近くなるんです。

もちろんフォロワーは増やすほどTLの流れは速くなり、「微分が濃くなり」、それでツイッターとしての役割はもっと果たせるようになります。
でも反対に、facebookの代替の役割は果たせなくなります。
お気に入りの人のツイートを見る機会が減るので、その人の動向だとかアテンションを知らないうちに見逃してしまうのです。

でもね、そんな問題は全て機能で解決できるはずなんです。
「リスト」機能さえ多用すれば、おおよそ現行のTLうんぬんの問題は解決しますよ。
友達に「フォローしてくださいよ〜」って言われて断りずらい人もどんどんフォローして、本当にいつも見るメインのリストには加えなければいいだけのことじゃないですか。
「ふぁぼる」機能も、もう少し拡張すれば、かなりfacebook的な意味でのソーシャルメディアに近い用法はでてくると思います。

twitter微分論は、ツイッターとして独自の特性をうまく説明している感じですね。
いろんな学問分野の視点から、TLというものを分析しています。
これが出たらもう、一区切りついてしまったんじゃないかな。
僕ももう少し吟味が必要ですね。


まぁ、例えば、お気に入りにもリストがあって、
「書評」「おすすめブログ記事」「おすすめレストラン」「ネタ」とか色々使い分けられたら便利ですよね。
この人が僕のどのツイートをファボッたかとかも知れたら便利ですよね。
リストで分けた時は、そのリストに属する自分のフォロワーも自動で全ての機能を扱う時にグループ分けされて欲しいですね。

だから本当はtwitterfacebook併用がいいんですよ。というか併用できるそんなクライアントがあればいいんですよ。

色んな外部サービスが開発され、最適化されていく。ツイッターの強みですね。


そんな感じです。
最近日本語力が低いエントリーばかりですいません。

動画コンテンツと放送と報道と・・・etc

エンタメ的なコンテンツと報道的なコンテンツって、意味が違うと思うんです。

その違いを見極めていくことが、新しい放送というビジネスを構築するのには必要だと思います。

エンタメ的コンテンツと、報道的コンテンツの違い。それは動画と文字の違いに由来します。
例えば当たり前ですけど5分のニュースって、聞き終わるのに5分かかるんですよ。
でもネットだったり新聞だったりの記事だったら、人によっては「速読」とかでかなり早く読み切れるわけです。

これって実は結構大きな違いで、どれだけ経験を積んでもかかってしまう時間(コスト)は動画の場合不変なんです。
まぁ5分ならいいんですよ。でもそれが1時間とかになると、問題になってきて。
報道という視点でみるコンテンツの場合、1時間の動画の中身って明らかに記事に起こして読むと1時間もかからないんです。それくらい、文字を読むことって効率的な情報収集なんです。しかも「速読術」なんてものを身につければそれはもっともっと洗練されます。

情報収集という行為はそもそも、雑多に溢れるゴミ情報の中からよいものをピックアップし、さらにそれを複数と比較検討して自分なりに最終判断を下すことに意味があるわけで、つまりなるたけ効率的に数多くの情報に触れる必要があります。

もうひとつあります、消費するのが短い時間で済むものは、反復されやすいです。
文字で書かれた記事では短めの記事のほうが何度も繰り返し読まれます。
youtubeだと、1分〜5分くらいのお手軽のもののほうが何万回も再生されます。

ネット時代になってからますますメディアという「くくり」がページビューを大事な要素としていることから、この反復発生率は直にビジネスモデルにも影響します。反復のしやすさは、そのまま「広い認知と浸透」へのハードルの低さを意味します。

大容量の動画コンテンツとしてビジネス向けに発展したのは、映画かセミナーか、そんなところですかね。あとはお祭りとかイベント。